釈尊御領観から「久遠仏御領観、久遠仏三界国主観」へ

 

日蓮は系年が文永初期とされる「断簡53(真蹟)で、三界(欲界、色界、無色界)の主について記している。

 

是我有 其中衆生 悉是吾子等云云。

この文のごとくならば、この三界は皆釈迦如来の御所領なり。寿量品に云く「我常に此の娑婆世界に在って」等云云。この文のごとくならば、過去五百塵点劫よりこのかた、此の娑婆世界は釈迦如来の御進退の国土なり。(P2496)

 

 

系年・文永6年の「法門可被申様之事では次のように記述している。

 

此の国は釈迦如来の御所領。(P447)

まして梵天・帝釈等は、我らが親父・釈迦如来の御所領をあずかりて、正法の僧を養うべき者につけられて候。毘沙門等は四天下の主、これらが門まぼり、また四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。その上、日本秋津島は四州の輪王の所従にも及ばず、ただ島の長なるべし。(P448)

 

(仏の家来たる)梵天・帝釈等は、私たちの親父である釈尊の領地を預かって正法の僧を養う者とされている。毘沙門天王は四天下の主で、これら梵天・帝釈の(東西南北の)門番である。又、四洲の王等は毘沙門天王の家来である。そのうえ、日本の秋津嶋は、四州の転輪王の家来にも及ばない。ただの「島の頭」ではないか。

即ち世俗的権威を超越する仏教的法威ともいうべきものを教示している。

 

 

系年、建治元年と推測される(諸説あり)「神国王御書」(真蹟)でも三界の国主について記している。

 

仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。(P881)

 

 

建治元年58日の「一谷入道御書」(真蹟断片)では、五百塵点劫より娑婆世界は「教主釈尊の御所領」であることを説く。

 

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり(P992)

 

 

これらを以て「釈尊御領観」などといわれているが、北インド誕生の釈迦族の王族たる人物としてのガウタマ・シッダールタが三界の国主にして領主であることは、物理的にも道理からも有り得ないというべきだろう。

 

文中における「釈迦如来」「仏」「釈迦仏」「教主釈尊」とは、妙法蓮華経如来寿量品第十六に「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」と示される久遠実成の釈尊たる久遠の本仏、即ち久遠仏のことであると読み解けるのではないだろうか。

 

縦に過去・現在、未来の三世を、横に一閻浮提から法界を包摂する久遠仏が三界の国主にして領主であるとすれば、「釈尊御領観」というよりも「久遠仏御領観」「久遠仏三界国主観」というべきではないかと思う。

 

どのように呼称するかについては様々な議論があるにしても、「日蓮は久遠仏を基軸、中心にする仏教的な視座を以て思考していた」と認識する必要があるのではないだろうか。

 

 

2023.12.24