日蓮一門は何人いたのか?

 

異体同心事 

日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし、日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし。

(文永11年か  86日付)

 

通解

日本国の人々は多人数であっても体同異心ですから、何事も成就することは難しいのです。日蓮一門は異体同心なので、人数は少なくとも大事を成就して、必ずや法華経は弘まることでありましょう。悪は多くとも一善に勝つことはありません。例えていえば、多くの火が集まったとしても、一水により消えてしまいます。この一門もまた同様なのです。

 

 

一読して、「和合僧のリーダーの、広宣流布への一念から発する情熱あふれる言葉こそ、妙法弘通の力の源である」ということが感じられる教示ではないでしょうか。

 

さて、一善にかつ事なしの一善ですが、当時の日蓮一門の人数はどれくらいだったのかが気になります。現存する真筆の曼荼羅本尊が130幅ほどです。一方、日蓮が生涯で顕した曼荼羅本尊は900幅以上との説があります。

 

曼荼羅本尊の図顕開始が文永8(1271)10月、日蓮の入滅が弘安5(1282)1013日ですから、11年間、曼荼羅本尊を顕し続けたことになります。あくまで大雑把な単純計算ですが、365日×11年=4,015日となります。900で割ると、4.46ですが、実際に曼荼羅本尊を顕すとなると「日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし(経王殿御返事)とあるように、大変な集中力と労力を要しますので、45日に一幅の曼荼羅本尊を顕すとは考えづらいものがあります。しかも建治~弘安にかけては日蓮の体調は優れないものがありました。

 

10日に一幅の曼荼羅本尊を顕すということであれば、4,015÷10で、401.5となります。ここでは仮に、日蓮は、10日に一幅、およそ400幅ほどの曼荼羅本尊を顕したのではないかと推測します。

 

400幅の曼荼羅本尊の周囲には、何人ほどの人がいたでしょうか。

現存の曼荼羅本尊で個人授与が分かるのが80幅弱で、全体の60%となります。400幅の6割が240幅となりますが、家族であれば一幅の曼荼羅本尊の周囲には6名ほどでしょうか。28枚次の壁一面を覆うような巨大な曼荼羅本尊もありますが、そのような布教の拠点用の曼荼羅本尊であれば、二、三十名は集まったでしょうか。

明らかに個人授与の「守護曼荼羅」ともいうべき小さな曼荼羅本尊も、現認できるだけでも5幅ほどありますので、400240160の内、10幅は守護曼荼羅として、150幅が法華伝道拠点用の曼荼羅本尊としてみましょう。

 

個人授与240幅×6名=1,440

個人のみ10

法華伝道拠点用150幅×30名=4,500

5,950名となりますが、これはあくまで仮定を前提とした単純計算ですので、これからまだ変わると思います。

 

日蓮の一門の人数だけではなく、図顕された曼荼羅本尊の実数、身延の草庵で一門が拝していた曼荼羅本尊、布教拠点の様子など、気になることは多くあります。

一つ一つにじっくりと取り組んでいきたいと思います。

 

 

2022.12.30