本門戒壇の大御本尊と呼称される板本尊をめぐって 2

◇本門戒壇の大御本尊(以下、戒壇板本尊)の造立に日蓮が関わっておらず=日蓮の時代に戒壇板本尊は存在せず、日蓮以後の造立ということであれば、「戒壇板本尊は日蓮出世の本懐であり、絶対であるとしてきた戦後の、特に昭和の時代の主張、草創期以来の信仰」はどうなるのか?

また、それを世に主張してきた責任はどうなるのか?

 

⇒今日の日蓮仏法の内実解明の知見からは、戒壇板本尊の意義付け変更の必要があるといえます。

 

しかしながら、戦後から昭和の時代にかけて戒壇板本尊を拝してきた、即ち南無妙法蓮華経の御本尊を強盛に拝してきたということは、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を唱え南無妙法蓮華経・日蓮を拝してきたということであり、それは同時に久遠の本仏を拝してきたことと同義であり、戒壇板本尊との境智冥合は久遠の本仏と法華経の肝心たる南無妙法蓮華経との境智冥合ではなかったでしょうか。そこには日蓮即我(信仰者)と漲る境地もあったことでしょう。

故に信仰的大確信で、歴史に残る妙法弘通が展開されたのだと思います。草創期以来の信仰を、見直し考え直す必要はどこにもありません。

 

また、学問的知見や科学的知見から、即ち歴史学や文献学、可能であれば放射性炭素年代測定により戒壇板本尊が鎌倉時代の造立ではないと判定されることは、道理としては有り得るわけですから、宗教的見解に変更が迫られるからといって、それまでの主張が責任問題として問われる必然性はないといえます。むしろ、学問的・科学的に真相が判明した後も、従来の主張を続けるほうが宗教的次元を超えて同義的・社会的に問題であるといえるでしょう。

 

日蓮の時代に、ガウタマ・シッダールタ=後に釈尊と尊称されるようになった人物の生没年、法華経の成立年代が推定されるような学問的史料と資料はありませんでした。

 

今日の学問では、ガウタマ・シッダールタの生没年は、

紀元前624年~紀元前544年 南伝仏教説

紀元前565年~紀元前486 : 北伝仏教説

紀元前466年~紀元前386 : 宇井伯寿説

紀元前463年~紀元前383 : 中村元説

即ち紀元前7世紀、6世紀、5世紀と諸説あり、ガウタマ・シッダールタが生きた時代に近い彼の教説も「スッタニパータ」や「ダンマパダ」等であり、これらが原始仏教の経典とされています。

 

法華経の成立年代についても50年~150年または40年~220年に西北インドで編纂され、主にユーラシア大陸東部に広まったことが解明されています。

 

では、日蓮が法華経を釈尊直説と理解したのは誤りだったのか?

学問的・宗教的誤りの上に日蓮は法門を創ってしまったのか?

法華経の成立年代がほぼ確定された現代では、日蓮の教えは意味のないものとなったのか?

と問われれば、それは「違う」といえます。

 

日蓮はガウタマ・シッダールタ=後に釈尊と尊称されるようになった人物が法華経を説いたとしましたが、「尊信の対象は法華経を説示した久遠の本仏」であり「久遠の本仏を前提にして法門の骨格を確立」した故に、即ち「法華経に説き示された世界との関連から法門を確立」した故に、法華経成立年代がガウタマ・シッダールタ=釈尊とは後の時代であったことが判明したからといって、日蓮の教え・法門が揺らぐことはいささかもない、といえます。

 

日蓮は法華経の成立年代を信仰の対象としてはいません。

法華経の内実を信仰の対象としていました。

同じく、

私たち和合僧は、戒壇板本尊に関する意義付けを信仰の対象としていたわけではありません。

和合僧は南無妙法蓮華経の御本尊を信仰の対象としていたのであり、板本尊の由来は二次的なものであったのですから、その真相が判明したとしても、南無妙法蓮華経の御本尊を拝する和合僧の信仰が揺らぐことはなく不変のものであるといえるのではないでしょうか。

故に、和合僧の信仰は草創期から現在、そして未来へと、「御本尊根本」、不変にして不退の一本の道なのです。

 

 

 

◇戒壇板本尊こそ、「聖人御難事」にある「余は二十七年なり」との、日蓮の出世の本懐と拝してきたのだが。

 

⇒「聖人御難事」と出世の本懐・戒壇板本尊を結び付けて喧伝されてきたのは、明治に入ってからのことになります。日蓮が顕した一つ一つの妙法曼荼羅本尊こそ出世の本懐であり、「阿仏房御書」に「あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり」とあるとおりです。

 

 

 

 

◇戒壇板本尊が日蓮滅後の後代造立ならば、それは偽作というのではないか?

 

⇒偽作ではありません。

「観心本尊抄」の本尊段に説かれる御本尊の相貌に倣った相貌座配であり、戒壇板本尊も立派な本尊です。ですが、今は戒壇板本尊に付随する「伝承」が問われているわけです。

 

観心本尊抄

 

其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る。正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。 

 

 

◇和合僧の信仰の原点とされる戸田会長の二度の悟達・「獄中」と「路上」での悟達、特に「獄中の悟達」は、戒壇板本尊を拝する信仰で成し得たものであり、その前提が崩れるのでは原点とならなくなってしまうのではないか。

 

⇒前述しましたように、当時の戒壇板本尊を拝した信仰とは、仏法的には南無妙法蓮華経の御本尊への信仰であり、それは久遠の本仏と法華経の肝心たる南無妙法蓮華経との境智冥合の信仰ですから、悟達における戒壇板本尊をそのまま南無妙法蓮華経の御本尊と認識・理解すればいいだけの話となります。

 

故に、原点とその内実は不変にして永遠のものでもあります。

 

 

 

◇戒壇板本尊ではなく、真蹟に間違いない万年救護本尊を根本にしてきた方がよかったのではないか。

 

⇒万年救護本尊は、弘安期に見られるような相貌座配が整足されたものではありません。それは一つには日蓮の内証=日蓮の内心の悟り・感得した仏法的真理という観点からは、「冥・顕」の「冥」の段階ともいえるのではないでしょうか。

一方、その独特の讃文により、日蓮図顕曼荼羅が大本尊であること、日蓮は自らを対外的には上行菩薩であるとされていたことが理解されます。

仮定の話ですが、根本とするなら身延の草庵で安置されていたと考えられる、弘安33月の「臨滅度時本尊」の方が相応しかったといえるでしょう。

 

 

万年救護本尊讃文 立正安国会「御本尊集」より
万年救護本尊讃文 立正安国会「御本尊集」より

 

◇御本尊の書写に関する権能とされる史料・文書が日蓮より後代成立の文書であるならば、誰が御本尊を書いてもよいのではないか。

 

⇒それでは本尊雑乱になります。

こと御本尊のことに関しては和合僧のルールが必要です。

そのことを、日蓮系一寺院では、貫首に一切の権能があると集約して一門をまとめてきたわけです。特別な権能、権限というよりも、和合僧の総意、決まりとして、特定の本尊を定めるということは教団としては当然のことです。

 

日興は、他の老僧の本尊に見られる「南無妙法蓮華経 日昭」や「南無妙法蓮華経 日朗」のように自らが法や師匠と同列・同義になって本尊を顕すのではなく、「南無妙法蓮華経 日蓮」と、師匠日蓮の御本尊を書写するという弟子の立場を貫きました。

ここに師匠の本尊を書写する弟子の姿勢があるといえるでしょう。

 

 

 

◇草創期以来、戒壇板本尊=大御本尊としてきたわけだが、今後の大御本尊の定義というのはどうなるのか?

 

⇒戒壇板本尊だけが大御本尊であるというのは、「創られたイメージ」というべきものであって、戒壇板本尊だけが大御本尊との絶対的な根拠はどこにもありません。

 

日蓮は御本尊の讃文に「仏滅度後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未曾有大漫荼羅也」と認めており、一閻浮提之内未曾有大漫荼羅=大御本尊であることを示されております。

その立派な讃文が我が家の御本尊にもあるのですから、我が家の御本尊は大御本尊であるともいえます。

 

 

 

◇日寛上人は戒壇板本尊を書写したのであり、その日寛上人の御本尊を拝しながら、寺院教学は用いないといって日寛上人を軽んじたり、戒壇板本尊に関する真相を云々するのは頭破七分にして悩乱している!邪教の害毒で支離滅裂、精神がおかしくなっている!

 

⇒私たち和合僧は「和合僧有縁の南無妙法蓮華経の御本尊」を拝しているのであり、そこには誰が書写した、誰が何を写した本尊である等というものはありません。

 

私達が拝しているのは「観心本尊抄」本尊段の相貌座配に連なる、「和合僧有縁の南無妙法蓮華経の御本尊」なのです。

 

書写した人物を意識したり、書写した人物の自署を拝んでいるのではありません。

和合僧の信仰の対象・本尊は、「南無妙法蓮華経の御本尊」です。

 

日蓮系一寺院の宗派内での理解・見解である主張は、他教団である私たちには一切無関係なものであり、お寺の中でいうべきことでしょう。

他宗教に向かって筋違いの主張をするよりも、自らが「唯一絶対の正法であり他宗教は邪教にして一切の不幸の根源である」とする根拠であるところの戒壇板本尊造立に、日蓮が直接関わったという証拠を示すべきです。

 

日蓮系一寺院の金看板ともいうべき、正法である根拠、存在基盤が何も証明できないのに、他に向かって邪教とするあなたの信仰理解と主張こそ、頭破七分にして悩乱ではないですか。

 

 2024.4.21