「立正安国論」当時の日蓮は爾前権教を肯定していたのか?

 

「立正安国論を読めば、日蓮は旧仏教側・顕密仏教側に立って法然浄土教を批判したのであり、しかも大乗仏教復興の旗幟(きし)を鮮明にし、浄土教を除く爾前権教を肯定しており、この当時の日蓮は大乗仏教の人にして法華独勝は後の時代のことになるのである」との説があります。

 


この主張に対しては、以下のように考えます。


「たしかに、立正安国論の第四段の主人の言葉では、法然浄土教の隆盛による比叡山中の堂宇の荒廃と大乗仏教の教えの衰微を記されているが、それらはいかに法然浄土教が既成仏教を凌駕して流布しているかその様相を主眼として述べたものであり、薬師如来や地蔵菩薩、虚空蔵菩薩等を教理面・信仰面から肯定、爾前権教に与しているわけではない」


「日蓮が立正安国論を天台沙門と称して北条時頼に提出したことは、日興写本の立正安国論から確認でき、この当時の日蓮は公に対しては自らが学んだ比叡山・天台宗側の立ち位置を取っており、日本仏教の母山ともいえる比叡山の衰微を記したのは自然なことでもあった。ただしそれは、法然浄土教の流布に相対させての記述の域に留まっているのであり、積極的に比叡山(天台宗)の信仰を肯定しているわけではなく配慮の域に留まるというべきであろう」

 


本文
()りて伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波濤(はとう)を渉(わた)りて渡せし所の聖教、或は一朝の山川(さんせん)を廻(めぐ)りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓(いただき)に華界(けかい)を建てゝ以て安置し、若しくは深谷(しんこく)の底に蓮宮(れんぐう)を起てゝ以て崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、虚空・地蔵の化を成すや、益(やく)を生後(しょうご)に被らしむ。故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭(とうしょく)を明らかにし、地頭は田園を充()てゝ以て供養に備ふ。而(しか)るに法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土(さいど)の仏駄(ぶっだ)を貴び、付嘱を抛(なげう)ちて東方の如来を閣(さしお)き、唯(ただ)四巻三部の経典を専(もっぱ)らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏(くぶつ)の志を止(とど)め、念仏の者に非ざれば早く施僧(せそう)の懐(おも)ひを忘る。故に仏堂零落(れいらく)して瓦松(がしょう)の煙老い、僧房(そうぼう)荒廃して庭草(ていそう)の露深し。然りと雖(いえど)も各(おのおの)護惜の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。

 


意訳
比叡山を開創した最澄、弟子の義真、円仁、円珍等が漢土への往来を重ね、万里の波濤をわたって招来した聖教、日本一国の山川を巡り歩いて崇め奉った仏像、これらは高山=比叡山の頂きに伽藍を建立して堂の中に安置し、あるいは深い谷間に仏堂を建てて安置し崇重したのである。比叡山の西塔=釈迦堂に安置された釈迦如来、東塔止観院=根本中堂に安置された秘仏たる薬師如来は、その威光・利益を現世と来世の二世に施し、横川般若谷に安置された虚空蔵菩薩と、戒心谷に祀られた地蔵菩薩は教化を成して現世、来世に亘り多くの人に利益を与えているのである。故に国主は一郡や一郷を寄進して仏菩薩の灯明を盛んにし、地頭は田畠荘園を寄進して供養をしてきた。
ところが、法然の選択集、専修念仏が広まることにより、多くの衆生は教主たる釈尊を忘却して西方極楽浄土の阿弥陀仏を崇め貴び、釈尊の付属、最澄の教えを抛って東方浄土の薬師如来を閣いている。ただ四巻三部の浄土三部経を信じて、空しく釈尊一代五時の経典を抛っているのである。
この故に、阿弥陀仏の堂でなければ人々は皆、供養をしようともせず、念仏を修する僧でなければ布施をする心を忘れてしまっている。故に仏堂を訪れる人はなく閑散となり、堂舎は傾いて修理もされず、苔がむして僧房は荒廃の極に達し、その庭には雑草が茂り露が深い。
このような仏教界の惨状であるのに、人々は正しき仏教を護ろうという心を捨ててしまい、堂舎建立の思いすらない。これを以て、正しき仏教を継ぐ住持の聖僧は立ち去りて帰ることなく、国土を守護する善神も去ってしまい再び戻ることもない。このような事態は全て、法然の選択集、専修念仏の流布によるものなのである。 

 

2022.12.3