上野国にある古碑を訪ねて・山上碑 金井沢碑

 山上多重塔まで来たら、群馬県高崎市にある山上碑・金井沢碑と、日本三大古碑の一つである多胡碑にも足を向けてみましょう。朝、東京を車で発てば、一日で四つの石塔、石碑をめぐれると思います。まず、高崎市山名町にある山上碑に向かいましょう。

 

 

山上碑入口

入口横に「来迎阿弥陀画像板碑」があります。

高崎市教育委員会の説明板

石段を上がって

山上古墳と並ぶように山上碑の覆屋が立っています

山上古墳

文化庁、群馬県、高崎市教育委員会の説明板

覆屋左側の説明板

                        
                        

山上碑

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銘文

辛巳歳集月三日記

佐野三家定賜健守命孫黒売刀自比

新川臣児斯多々弥足尼孫大児臣娶生児

長利僧母為記定文也 放光寺僧

 

現代語

辛巳年(しんしのとし 天武天皇10年・681)103日に記す。

佐野三家(さののみやけ)をお定めになった健守命(たけもりのみこと)の子孫の黒売刀自(くろめとじ)。これが、新川臣(にっかわのおみ)の子の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の子孫である大児臣(おおごのおみ)に嫁いで生まれた子である(わたくし)長利僧(ちょうりのほうし)が、母(黒売刀自)の為に記し定めた文である。放光寺の僧。

         高崎市教育委員会の説明板より

金井沢碑入口

畑の横道を通った先に覆屋があります 金井沢碑も高崎市山名町に位置します

高崎市教育委員会の説明板

金井沢碑の文字部をアップで

少し暗かったですね

 

銘文

上野國羣馬郡下賛郷高田里

三家子□為七世父母現在父母

現在侍家刀自□□(他田か)君目□(頰か)刀自又兒□(加か)

那刀自孫物部君午足次□(馬偏に爪)刀自次□(若か)(馬偏に爪)

刀自合六口又知識所結人三家毛人

次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口

如是知識結而天地請願仕奉

石文

神亀三年丙寅二月廾九日

 

現代語訳

上野国(こうずけのくに)群馬郡(くるまのこおり)下賛郷(しもさぬごう)高田里(たかだのさと)に住む三家(みやけの)子□が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(いえとじ 主婦)の立場にある他田君目頰刀自(おさだのきみめづらとじ)、その子の加那刀自(かなとじ)、孫の物部君午足(もののべのきみうまたり)、次の□(馬偏に爪)刀自(ひづめとじ)、次の若□(馬偏に爪)刀自(わかひづめとじ)の合せて六人、また既に仏の教えで結ばれた三家毛人(みやけのえみし)、次の知万呂、鍛師(かぬち)の磯部君身麻呂(いそべのきみみまろ)の合せて三人が、このように仏の教えによって(我家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文である。

神亀3(726)丙寅229

         高崎市教育委員会の説明板より

 

 

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