御本尊・妙法曼荼羅本尊は久遠仏の当体

 

日蓮遺文を順に確認していきましょう。

 

1 法華経は釈迦牟尼仏・生身の仏=久遠仏である

 

正嘉3年・正元元年(1259)「守護国家論」 (真蹟曽存)
法華経に云はく「若し法華経を閻浮提に行じ受持すること有らん者は応(まさ)に此の念を作()すべし。皆是普賢(ふげん)威神(いじん)の力なり」已上。
此の文の意は末代の凡夫法華経を信ずるは普賢の善知識の力なり。
又云はく「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念(しょうおくねん)し修習し書写すること有らん者は、当に知るべし、是の人は則(すなわ)ち釈迦牟尼仏を見るなり。仏口(ぶっく)より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」已上。
此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏の在世なり。

 


文永9(1272)「四條金吾殿御返事(梵音声書)」 (日興本)
仏の大梵天王帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声なり。此等の梵音声一切経と成りて一切衆生を利益す。其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして此の音声を文字と成し給ふ。
仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはか()はれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあ()ひまい()らせたりとおぼしめすべし。

 


文永9(1272)「祈祷抄」 (真蹟曽存)
此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり。一一の文字は仏の御魂なれば、此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまほり給うべし。人の身に影のそへるがごとくそはせ給うらん。

 


文永元年(1264)又は文永10(1273)「木絵二像開眼之事(法華骨目肝心)」 (真蹟曽存)
色心不二なるがゆへに而二とあらはれて、仏の御意あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれ、すなわち仏の御意なり。

 


建治元年(1275)「法蓮抄」 (真蹟)
今の法華経の文字は皆生身の仏なり、我等は肉眼なれば文字と見るなり。たとへば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども果報にしたがって見るところ各別なり。此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず、肉眼は黒色と見る、二乗は虚空と見、菩薩は種種の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。



2 妙法の妙は釈迦如来・仏=久遠仏・如意宝珠・一切の功徳が集まる

 

弘安3(1280)「妙心尼御前御返事(妙字御消息)」 (日興本・要検討)
又妙の文字は花のこのみとなるがごとく、半月の満月となるがごとく変じて仏とならせ給う文字なり。されば経に云く「能く此の経を持つは則ち仏身を持つなり」と。天台大師の云く「一一文文是れ真仏なり」等云云。
妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを、我等が眼つたなくして文字とはみまいらせ候なり。
中略
されども此の妙の字は仏にておはし候なり。又此の妙の文字は月なり、日なり、星なり、かがみなり、衣なり、食なり、花なり、大地なり、大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う。又は如意宝珠のたまなり。かくのごとくしらせ給うべし。

 

3 法華経の肝心は南無妙法蓮華経である

 

文応元年(1260)「唱法華題目抄」 (日興写)
其の上、法華経の肝心たる方便寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。

 


文永10(1273)「観心本尊抄」 (真蹟)
此の本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字
寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字

 


建治元年(1275)「種種御振舞御書」 (真蹟曽存)
法華経の肝心題目の五字
法華経の肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字

 


建治2(1276)「報恩抄」 (真蹟)
法華経の肝心たる南無妙法蓮華経

 


建治3(1277)「下山御消息」 (真蹟)
本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字

 

4 南無妙法蓮華経と本門の本尊を一閻浮提に広宣流布する


文永10(1273)「顕仏未来記」 (真蹟曽存)
(しか)りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執(じゃしゅう)を捨てゝ実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん。此の人は守護の力を得て本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。

 


建治2(1276)「報恩抄」 (真蹟)
但し彼の白法隠没の次には、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり。其の国国に八万の王あり。王王ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり。

 


建治3(1277)「下山御消息」 (真蹟)
これは又地涌の大菩薩末法の初めに出現せさせ給いて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり。


5 日蓮の教示から~「妙法曼荼羅即久遠仏・如意宝珠・一切の功徳」

 

これまで引用した遺文より、日蓮の法華経信仰と教示をまとめてみましょう。

 

「法華経は釈迦牟尼仏」


「仏の御心はこの(法華経の)文字に備はれり」


「法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあ()ひまい()らせたり」


「此の経(法華経)の文字は即釈迦如来の御魂なり」


(法華経の)一一の文字は仏の御魂」


「法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれ、すなわち仏の御意なり」


「法華経の文字は皆生身の仏なり」


「妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給う釈迦如来」

 

「妙の字は仏にておはし候なり。又此の妙の文字は・・・・・一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う。又は如意宝珠のたまなり」

 

 

 

要約


・法華経そのものを教主釈尊=久遠仏であると拝する。


・そこに日蓮書写の法華経、他の求道者書写の法華経の区別なし。


・法華経即教主釈尊=久遠仏である。


・妙法の妙は久遠仏、如意宝珠であり、一切の功徳が集まる。


・教主釈尊=久遠仏の法華経は南無妙法蓮華経が肝心である。


・妙法曼荼羅には久遠仏の法華経の肝心である南無妙法蓮華経が顕されている。


・妙法曼荼羅は南無妙法蓮華経を肝心とする久遠仏の法華経世界を顕したものである。


・妙法曼荼羅の南無妙法蓮華経の妙は久遠仏、如意宝珠であり、一切の功徳が集まっている。即ち妙法曼荼羅は久遠仏、如意宝珠であり、一切の功徳が備わる。


・「南無妙法蓮華経と南無妙法蓮華経を大書した本門の本尊」を広宣流布する。

 

 

これにより、日蓮法華の信仰としては、御本尊=妙法曼荼羅本尊は久遠仏の当体であるといえるのではないでしょうか。

 

 

また、妙の一字を久遠仏、如意宝珠、一切の功徳の当体とするとの教示からすれば、「報恩抄」の「日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし」や「観心本尊抄」の「寿量の仏有さず」「この仏像出現」に見られるように、妙法曼荼羅本尊即久遠仏(=久遠実成の釈尊・教主釈尊)であるとの意味から、「本門の教主釈尊」「寿量の仏」「仏像」との表現をすることもあったと考えられるのです。

 

2024.2.12