1255年・建長7年 乙卯(きのとう) 34歳

後深草天皇

 

北条時頼

 

212

興福寺衆徒 東大寺房舎を破却

 

 

221

北条時頼 1000人に勧進し建長寺の梵鐘を鋳造

 

 

38

後嵯峨上皇 熊野に御幸

 

 

329

幕府 問注の日限・裁決などについて制定

 

 

6

藤原実経 東福寺に弁円を請ず(東福寺紀年録) 

 

【 系年、建長7年と推定される書】

 

書を著す

「蓮盛抄(れんじょうしょう)(禅宗問答抄)

(1-4P17、創新52P757、校1-6P37、全P150、新P26)

満上311 宝8 真蹟なし

録外25-20 遺3-1 縮90

*昭和定本「蓮盛抄」

創価学会新版「蓮盛抄(禅宗問答抄)

*昭和定本・創価学会新版・対告衆なし

 

*法華経

問うて云はく、法華は貴賎男女何れの菩提の道を得べきや。

答へて云はく「乃至一偈に於ても皆成仏疑ひ無し」云云。又云はく「正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。是に知んぬ、無上菩提なり。

「須臾聞之即得究竟阿耨菩提」(しゅゆもんしそくとくくきょうあのくぼだい)なり。此の菩提を得ん事、須臾も此の法門を聞く功徳なり。

 

外道

禅宗云はく、教外別伝不立文字(きょうげべつでんふりゅうもんじ)と。答へて云はく、凡(およ)そ世()流布の教に三種を立つ。

一には儒教、此に二十七種あり。

二には道教、此に二十五家あり。

三には十二分教、天台宗には四教八教を立つるなり。

此等を教外と立つるか。医師(くすし)の法には本道の外を外経師と云ふ。人間の言には姓のつゞかざるをば外戚(がいせき)と云ふ。

仏教には経論にはなれたるをば外道と云ふ。

涅槃経に云はく「若し仏の所説に順(したが)はざる者有らば、当に知るべし、是の人は是(これ)魔の眷属なり」云云。

弘決の九に云はく「法華已前は猶(なお)(これ)外道の弟子なり」云云。

 

 

書を著す

「諸宗問答抄」

(1-5P22、創新53P764、校1-7P42、全P375、新P30)

昭和定本・創価学会新版 対告衆なし

日代本・静岡県富士郡芝川町西山 富士山本門寺蔵

17

録外11-2 遺3-6 縮95

*昭和定本・創価学会新版「建長7年」

⇒系年については再考を要する。

「不動・愛染感見記」について

 

 

書を著す

「念仏無間地獄抄」

(1-6P34、創新51P748、校1-8P54、全P97、新P38)

満下92 宝3 真蹟なし

録外10-29 遺3-19 縮107

*平成校定「念仏無間地獄抄(念仏地獄抄)

*昭和定本・創価学会新版・対告衆なし

 

主師親の三徳

其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て、他人たる阿弥陀仏を信ずる故に、五逆罪の咎(とが)に依って、必ず無間大城に堕つべきなり。

経に「今(いま)此の三界は皆是(これ)我が有()なり」と説き給ふは主君の義なり。

「其()の中の衆生は悉(ことごと)く是吾が子なり」と云ふは父子の義なり。

「而も今此の処は諸(もろもろ)の患難(げんなん)多し。唯我一人のみ能く救護(くご)を為()す」と説き給ふは師匠の義なり。

而して釈尊付嘱の文に、此の法華経をば「付嘱有在(うざい)」云云。何れの機か漏()るべき、誰人か信ぜざらんや。

而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付嘱に背き、他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑(たの)む。故に主に背けり、八逆罪の凶徒(きょうと)なり。違勅(いちょく)の咎(とが)(のが)れ難し、即ち朝敵なり、争(いか)でか咎(とが)無からんや。

次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者なり、豈(あに)無間地獄に堕ちざるべけんや。

次に師匠の釈尊に背(そむ)く故に七逆罪の人なり、争でか悪道に堕ちざらんや。

此くの如く、教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐(おわ)します。此の仏を捨て他方の仏を信じ、弥陀・薬師・大日等を憑(たの)み奉る人は、二十逆罪の咎(とが)に依って悪道に堕つべきなり。

 

師の跡

而も流れを酌()む者は其の源(みなもと)を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡(あと)を踏むべし云云。

 

 

書を著す

「一生成仏抄」

(1-7P42、創新15P316、校1-9P63、全P383、新P45)

富木常忍

創価学会新版・富木常忍

日朝本、宝12 満下199 真蹟なし

録外6-22 受1-4 遺3-27 縮117

*平成校定「一生成仏抄(与富木書)

 

迷ふ時は衆生、悟る時をば仏

又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土(えど)と云ふも土に二つの隔てなし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云ふも仏と云ふも亦此くの如し。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。

譬へば闇鏡(あんきょう)も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如(ほっしょうしんにょ)の明鏡と成るべし。深く信心を発()こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。

 

 

書を著す

「主師親御書」

(1-8P45、創新16P319、校1-10P66、全P385、新P47)

御両親

創価学会新版 対告衆なし

9 満下3 真蹟なし

録外13-20 受6-16 遺3-30 縮120

*昭和定本「主師親御書(釈尊三徳)

創価学会新版「主師親御書」

平成校定「主師親御書(釈尊三徳抄)

< 系年 >

昭和定本「建長7年或は文永元年」

創価学会新版「建長7年」

 

*主師親

釈迦仏は我等が為には主なり、師なり、親なり。一人してすくひ護ると説き給へり。阿弥陀仏は我等が為には主ならず、親ならず、師ならず。

 

建長寺・梵鐘の銘文

 

 

『建長七年卯乙二月二十一日 本寺大檀那相模守平朝臣時頼 謹勧千人同成大器 建長禅寺住持宋沙門道隆 謹題都勧進監寺僧琳長 大工大和権守物部重光』

 

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