「本門戒壇の大御本尊」と呼称される板本尊をめぐって 1

 

「本門戒壇の大御本尊」と呼称される板本尊を所蔵する日蓮系一寺院では、自宗派のみが日蓮正統にして正当、唯一の正法にして他の宗派・宗教は邪宗教であるとしています。世の中の不幸と悲惨、混乱と苦悩の根源には邪宗教があり、世の不幸は邪義邪宗の謗法の害毒であると主張しています。

 

では、その日蓮系一寺院が、自らの宗派が日蓮の正統にして正しい宗教であり正しい信仰である、唯一の正法であるとする根拠であるところの「本門戒壇の大御本尊」「金口嫡々・唯授一人血脈相承」「法体の血脈」について、問いたださなければなりません。

自らが正しいと主張する根拠、「金看板」といえるものを証明できずして、他の宗派・会を云々する資格はないといえるでしょう。

 

 

日蓮系一寺院の宗派が唯一絶対の正法を標榜するのならば、以下の項目を全て証明しなければなりません。全ての議論の出発点にして帰着点でもあります。その他の議論は枝葉であり、お付き合いする必要はないといえます。

 

 

1.弘安二年十月十二日又はその前後一ヶ月でもよい。

「本門戒壇の大御本尊」と呼称される板本尊の「全相貌」を、身延山で日蓮が認めたと証明せよ。

 

2.その板本尊を弟子の日法が彫刻したと証明せよ。

 

3.弘安二年十月十二日又はその前後一ヶ月でもよい。

板本尊造立に日蓮が関わったと証明せよ。

日蓮が本尊を木製にせよと指示された証拠を示せ。

彫刻中の日法に指南をされたと証明せよ。

 

4.「本門戒壇の大御本尊」と呼ばれる板本尊を、日蓮が「出世の本懐」と意義付けた直接の証拠を示せ。

 

5.その板本尊を、広宣流布の時に「本門寺の戒壇に安置する御本尊」と、日蓮自身が意義付けた証拠を示せ。

 

6.日蓮がその板本尊以外の本尊を「一機一縁」と意義付けた証拠を示せ。

 

7.日蓮が「文永、建治、弘安期の御本尊には、年代に応じて差異がある」と指南した証拠を示せ。後代の人物の説法・解釈ではなく、日蓮自身の教示を。

 

8.日蓮が「曼荼羅本尊には様々な意義付けというものがあり、自身が図顕した中でも特定の一つの曼荼羅本尊だけが特別である」とした証拠を示せ。

 

9.日蓮が「本尊に関する権能を唯授一人で血脈相承」した証拠を示せ。

 

10,日蓮が仏法の一切を日興に付属したという直接の証拠を示せ。

 

11.日蓮が金口嫡々・唯授一人血脈相承なるものを行った証拠を示せ。また、日蓮が金口嫡々・唯授一人血脈相承なるものによって、未来まで唯一人のみに仏法の一切が継承されゆくと志向していた証拠を示せ。さらに、その金口嫡々・唯授一人血脈相承なるものを主張する日蓮系一寺院に、実際に伝わっている直接の証拠を示せ。

 

12.日蓮が「法体の血脈」なるものを行った証拠を示せ、それを主張する日蓮系一寺院に実際に伝わっていると証明せよ。

 

2024.4.16

定義変更の必要性

 

上記の指摘は、「本門戒壇の大御本尊と呼称される板本尊」を偽作とするものではありませんが、所蔵する日蓮系一寺院が指摘に答えられないのであれば「定義変更の必要性がある」といえるでしょう。

 

従来の「弘安21012日、日蓮大聖人は本門戒壇の大御本尊を御図顕され出世の本懐を遂げられた」との主張は、「伝承」であるといえます。一方、その「言い伝え」が史実ではないことが判明したからといって、板本尊そのものの相貌は「観心本尊抄」の本尊段に連なるものですから、「立派な本尊」であることは間違いありません。

 

そもそも「御本尊に関する唯授一人の相承と権能」など存在しないわけですから、現代において日蓮法華系の教団が何を以て本尊とするかはそれぞれの教団の権能、即ち教義的理解と定義によるものであり、いわゆる「ニセ本尊」などというものは存在しないというべきでしょう。

 

一方では、本尊に関する判断の基準は「日蓮図顕本尊の相貌」にして日蓮の教示、即ち「観心本尊抄」の本尊段にあるといえ、その範疇から逸脱する本尊は「違うものである」との指摘は可能でしょう。具体的には、本尊を書写する際に「南無妙法蓮華経 日蓮」ではなく「南無妙法蓮華経 書写する人物の名と花押」になりますと、「弟子として師匠日蓮の本尊を書写する姿勢」から「師匠日蓮と同列の自己」になってしまい、「弟子の立場」を逸脱するものといえるのではないでしょうか。また、日蓮図顕本尊の相貌のままに書写したからといって、そこに絵像等を加えるのは論外というべきです。仏菩薩や日蓮曼荼羅にある列衆を個々に顕して礼拝することも師匠日蓮による先例はないわけですから、日蓮法華の信仰からは逸脱しているというべきです。

 

もちろん、「御本尊に関する唯授一人の相承と権能」がないからといって個々の信奉者が書写していたのでは和合僧としてのまとまりも何もなくなってしまいますので、そこには本尊の定義・有り様に関しての和合僧・教団としてのルールが定められるのは当然であるといえるでしょう。

 

 

観心本尊抄

 

其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る。正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。

 

 

2024.4.20