8 佐渡始顕本尊とNo11曼荼羅

 

佐渡始顕本尊図顕の翌年、文永116月、日蓮が身延入山後に顕した曼荼羅(「御本尊集」No11)の相貌座配、寸法、紙質は佐渡始顕本尊と似ています。

 

< 相貌 >

・佐渡始顕本尊

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝仏 南無分身等諸仏 南無善徳等諸仏

南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊弥勒等 

南無舎利弗等声聞 不動明王 愛染明王 南無大梵天王等 南無釈提桓因等

南無持国天王 南無増長天王 南無広目天王 南無毘沙門天王 南無大日天等

南無大月天等 南無天照八幡等 南無四輪王 南無天台大師 南無伝教大師

南無阿修羅王等 南無鬼子母神 南無藍婆 南無毘藍婆 南無曲歯 南無花歯 南無黒歯

南無多髪 南無無厭足 南無持瓔珞 南無皇諦 南無奪一切精気

 

No11曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝仏 南無分身等諸仏 南無善徳等諸仏

南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊弥勒等

南無舎利仏等 不動明王 愛染明王 南無大梵天王等 南無釈提桓因等 南無持国天王

南無増長天王 南無広目天王 南無毘沙門天王 南無大日天等 南無大月天等

南無天照八旛等 南無四輪王等 南無天台大師 南無伝教大師 南無阿修羅王等

南無龍神等 南無鬼子母神 南無藍婆 南無毘藍婆 南無曲歯 南無華歯 南無黒歯 南無多髪 南無無厭足 南無持瓔珞 南無皇諦 南無奪一切衆生精気

 

< 讃文 >

・佐渡始顕本尊

此経則為閻浮提人 病之良薬 若人有病 得聞是経 病即消滅 不老不死

此法花経大曼陀羅 仏滅後二千二百二十余年 一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之

如来現在 猶多怨 嫉 況滅 度後 法華経弘通之故 有留難事 仏語不虚 也

 

No11曼荼羅

我所説経典 無量千万億 已説今説当説 而於其中 此法花経 最為難信 難解

已今当妙 於茲固迷 舌爛不正 猶為花報 謗法之罪 苦流長劫

今此三界皆是我有 其中衆生悉是吾子 而今此処多諸患難 唯我一人 能為救護

而此経者 如来現在 猶多怨嫉 況滅度後

一切世間 多怨難信 前所未説 而今説之

 

< 脇書 >

・佐渡始顕本尊

文永八年太才辛未九月十二日蒙御勘 遠流佐渡国同十年太才癸酉 七月八日図之

 

No11曼荼羅

(顕示年月日として)文永十一年太才甲戌六月 日

 

< 寸法 >

・佐渡始顕本尊

176.3cm×79.0cm 絹本

 

No11曼荼羅

165.1×77.3 ㎝ 絹本

 

尚、No11曼荼羅の授与書き「沙門天目 受与也」については、No120曼荼羅にも「沙門天目 受与之」とあり、山中喜八氏の「解説」によれば、「当御本尊(No120)の授与書は聖筆、妙満寺の其れ(No11)は他筆と拝するのが至当のようである」と、No11の授与書きは「他筆」(日蓮ではなく別人の筆)としています。

 

また、No11曼荼羅にある「南無龍神等」は佐渡始顕本尊にはありませんが、同じく山中喜八氏の解説では「日亨師模写の佐渡始顕本尊は、阿修羅王のみ存して龍王を欠くが、『妙宗先哲本尊鑑』によれば、左方第二段大月天王の次位に『南無龍神』とあり、恐らくは日亨師の誤脱かと思われる」とされています。

 

佐渡始顕本尊とNo11曼荼羅は、相貌・勧請諸尊はほぼ同じ、材質も同じ「絹本」、No11の授与書きは他筆であり図顕当初は佐渡始顕本尊と同じく無し、寸法も大差ありません。これらより推測すれば、佐渡始顕本尊は佐渡での日蓮の居所、No11曼荼羅は図顕当初は身延の草庵で奉掲されたと考えられるでしょうか。

 

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