1237年・嘉禎3年 丁酉(ひのととり) 16歳

四条天皇

 

北条泰時

 

23

山門衆徒 蜂起す

玉蘂・九条道家著(1193年・建久4年~1252年・建長4)

「山門の衆徒蜂起す。これ三井戒壇を立てらるべきの由結構す。並びに宇治僧正一座宣下の事と。仍って制止せしむ」

「宇治大僧正来たる。一座宣下の事、山僧理に伏し、蜂起すべからざるの由、座主宮告げ送る所なり」

 

 

2

定豪 伝法院座主に重補される(東寺長者補任)

 

 

39

鎌倉大雨洪水

吾妻鏡「39日 庚申甚雨沃すが如し。終日休止せず 亥の刻洪水」

 

 

310

近衛兼経 摂政に任ぜられる(公卿補任)

 

 

49

藤原家隆 卒80(公卿補任)

 

 

625

幕府 諸社寺・国司・領家の訴訟は御成敗式目に依拠しない旨を下知する(吾妻鏡)

 

 

8

四天王寺覚順等 本寺への放火未遂により殺害さる

吾妻鏡

「六波羅飛脚參申云、去五日、四天王寺執行、一族上座覺順、引卒二百餘人、欲保天王寺之間、渡部黨相戰之間、覺順已下九十三人、被討取訖。餘兵、於所々、被虜。金堂已下、雖放火、皆打消〈云云〉」

 

六波羅の飛脚参り、申して云く、去る五日四天王寺執行の一族上座覺順、二百余人を引率し、天王寺を保たんと欲するの間、渡部党相戦うの間、覺順以下九十三人討ち取られをはんぬ。余兵所々に於いて生虜らる。金堂以下放火すと雖も、皆打ち消す

 

 

この年

 

嘉禎年間に狐雲懐奘 「正法眼蔵随聞記」を著す

 

 

日蓮 「道善房について得度」と伝う(妙法比丘尼御返事・全P1407) 

 

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