日蓮年表

【 凡例 】

 

◇本資料での御書一覧は、

「日蓮大聖人御書全集・新版 2022510日 第四刷 創価学会発行」

「昭和定本日蓮聖人遺文一巻~四巻 立正大学日蓮教学研究所編纂 平成12428日 改訂増補第三刷 身延山久遠寺発行」

「平成校定日蓮大聖人御書一巻~三巻 宗旨建立七百五十年慶祝記念出版委員会編纂 平成14428日 大石寺発行」

を基準に構成しました。

 

あわせて「平成新編日蓮大聖人御書 平成新編日蓮大聖人御書編纂会 大石寺発行」、「日蓮大聖人御書全集・旧版 創価学会発行」のページ数も記載しました。

 

御書の要文については、「昭和定本日蓮聖人遺文」を引用、適宜句読点、改行、読みを加えました。

 

 

◇系年に諸説のある御書をどの年に掲載するかについては、「日蓮大聖人御書全集・新版」「昭和定本日蓮聖人遺文」「平成校定日蓮大聖人御書」及び年表中に記載した各研究書をもとに、筆者が総合的に勘案しました。ご注意ください。

 

 

◇曼荼羅座配の掲載は、以下の書に基づき構成しました。

「御本尊集目録 山中喜八編著 改訂増補四版 平成27月 立正安国会発行」を底本。

 

参考

「日蓮聖人真蹟の世界 山中喜八著 立正安国会編纂 平成41020日 長坂一雄発行 雄山閣出版」

「御本尊鑑 遠沾院日亨上人※ 身延33世・遠沾院日亨の記録 藤井教雄編集 昭和451121日 身延山久遠寺発行」

「日蓮聖人真蹟の形態と伝来 寺尾英智著 平成9320日 長坂慶子発行 雄山閣出版」

 

※「御本尊鑑 遠沾院日亨上人」

身延山中興三祖とされる33世・遠沾院日亨[1646年・正保3年~1721年・享保6]が身延在位中に、身延西土蔵の日蓮曼荼羅24幅を始め、中山、佐渡所蔵の日蓮曼荼羅を拝写した記録 。

 

 

◇「日蓮大聖人御書全集・新版」の構成(同書p1より)

十大部

教理書

諸宗比較書

対外書

図表・抄録類

講義

安房の門下へ

富木常忍編

下総の門下へ

池上兄弟編

四条金吾編

鎌倉の門下へ

伊豆の門下へ

佐渡の門下へ

甲斐の門下へ

南条時光編

駿河の門下へ

遠江(とおとうみ)・尾張の門下へ

諸御抄

日興上人文書

伝承類

 

 

◇「昭和定本日蓮聖人遺文」の構成(同書一巻「凡例」p.1より)

第一輯(しゅう) 正編

著述・消息にして真蹟現存するもの、真蹟現存せざるも真撰確実なるもの、真偽確定せざるも宗義上・信仰上・伝統的に重要視さるるものを収めた。

 

第二輯 続編

著述・消息にして真偽の問題の存するもの、其の他を収めた。

 

第三輯 図録

図表及び要文抄録の類を収めた。

 

第四輯 断簡

新発見の著述・消息の真蹟断片にして第一輯に編入せざるものを収めた。

 

第五輯 講記

御義口伝・日向記の二書を収めた。

 

 

◇「平成校定日蓮大聖人御書」の構成(同書一巻「凡例」p.6より)

第一輯 正編

著述及び消息を編年順に配列して収めた。

 

第二輯 相伝書

古来公開されている第二祖日興上人への直授の相伝書十編を収めた。

 

第三輯 講義

日蓮大聖人の講義二編を収めた。

 

第四輯 図録

図表及びそれに類するものを収めた。

 

第五輯 断簡

真蹟断片を大石寺本末所蔵分、他寺等所蔵分の順に収めた。

 

付録 真偽未決書

著述及び消息のうち、真偽未決のものを収めた。

 

 

2022年・令和411月時点で、真蹟がなく写本のみの御書については、資料内では「真蹟なし」と表示しました。尚、従来の学説通り「日蓮の一弟子六人=六老僧」等の高弟による古写本については「真蹟」に準じています。また、「身延山曽存」も同様です。

 

 

【 御書一覧の見方 】

 

書を四条金吾に報ず

「四条金吾殿御返事(八風抄)

(2-245P1301、創新206P1564、校2-261P1353、全P1150、新P1117)

身延・四条金吾

創価学会新版・四条金吾

真蹟1(343)断簡・京都府京都市上京区新町通鞍馬口下ル下清蔵口町 妙覚寺蔵

真蹟1(273)断簡・東京都大田区池上 池上本門寺蔵

真蹟・身延山久遠寺曽存(意、遠録等)

2 満下221

録外14-20 受1-6 遺22-31 縮1544

*本満寺本「四條金吾殿御返事=八風等真言破事」

昭和定本「四条金吾殿御返事(八風等真言破事)

創価学会新版・全集「四条金吾殿御返事(八風抄)

平成校定「四条金吾殿御返事(八風等真言破事) (八風抄)

< 系年 >

昭和定本・全集「建治3年」

創価学会新版「建治2年または建治3年」

平成校定「建治34月」

山上弘道氏の論考「四條金吾領地回復を伝える諸遺文の系年再考」(興風23P645)

「建治二年の末から建治三年の初頭あたりに系けるのが妥当と思われる」

 

*八風

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利(うるおい)・衰(おとろえ)・毀(やぶれ)・誉(ほまれ)・称(たたえ)・譏(そしり)・苦(くるしみ)・楽(たのしみ)なり。をゝ心(むね)は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事なり。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまぼ()らせ給ふなり。しかるをひり(非理)に主をうらみなんどし候へば、いかに申せども天まぼ()り給ふ事なし。

以上、引用「例」

 

 

以下は「例」の解説です。

・「創価学会新版による書名(別称、異称・略称)[創価学会新版に掲載のない御書については昭和定本による]

・定=昭和定本掲載の巻数―遺文番号・ページ数

・創新=創価学会新版掲載の御書番号・ページ数

・校=平成校定掲載の巻数―御書番号・ページ数

・全=日蓮大聖人御書全集掲載のページ数

・新=平成新編日蓮大聖人御書掲載のページ数

・著作地・対告衆(昭和定本)

・創価学会新版の対告衆

・真蹟現存の形態・所在地(寺院の住所はいわゆる「平成の大合併」以降のものに改めました。ただし、数箇寺については現住所が判明しませんでした。尚、個人所蔵については、この資料では某家、某氏とし、詳細な住所表記も略しました)

・写本

・刊本等

*主に「昭和定本」「創価学会新版」「平成校定」「全集」での書名の違いを記しました。

*同じく「昭和定本」「創価学会新版」「平成校定」「全集」での系年の違いを記しました。

・文中、頻繁に出てくる「真蹟・身延山久遠寺曽存」とは、その真蹟の大半は身延山に存在していたものの、明治8(1875)110日の身延山大火により焼失してしまったものです。

・筆者のコメントについては、⇒以下に記しました。

*「要文」として、筆者の判断による御書の一節を昭和定本より引用しました。なお一部の引用文では読みやすいように句読点、改行を加え、漢字・ひらがな表記を変更しています。

 

 

◇日蓮の誕生、修学、立教、法難等について、後年、日蓮自身が述懐しているもの、当時の状況を記した一説を◇の表記以降に、「御書名」「真蹟・写本の別」「当該文章」の順に引用しました。

 

 

◇極楽寺良観との祈雨の勝負に始まる竜口法難等、主要な事跡については、【】表記以降に、若干の解説を加えながら順に記しました。

 

 

◇本資料は日蓮誕生の前年、承久3(1221)より始まり、日蓮入滅の弘安5(1282)で終了しています。

各年代の冒頭に「天皇」「執権」を記しました。

 

 

◇本資料は御書を編年体で記すと共に、「日蓮宗年表」「富士年表」等の記述も参考として引用しました。その他「一般年表」をもとに歴史的事件、社会事象も加えてあります。

 

もちろん各年表に「人物伝」「事蹟」として記されたことを、そのまま無条件で受け入れるわけではありません。筆者としては「このような伝承がある」という「参考」として引用しました。煩雑になるので一部を除き、それら「伝承」に対する考察はしておりません。

 

 

【 断簡 】

 

昭和定本「断簡NO1NO199」は「三巻」収載。

 

昭和定本「断簡NO200NO392」は「四巻」収載。

 

平成校定「断簡NO1NO305」は「三巻」収載。

 

 

一、本資料での「例」

 

299 文永 1

三重県桑名市東方 円妙寺蔵(p.2970)

174p.2699

 

以上「例」

 

以下、解説

 

昭和定本断簡NO  文永期の書と推定  1

所蔵寺院または個人 (昭和定本収載ページ)

平成校定断簡NO・平成校定収載ページ

 

 

 

 

【 脚註での略符 】

 

定・・昭和定本日蓮聖人遺文

 

創新・・日蓮大聖人御書全集・新版

 

校・・平成校定日蓮大聖人御書

 

全・・日蓮大聖人御書全集

 

新・・平成新編日蓮大聖人御書

 

平・・平賀本

 

宝・・三宝寺本

 

満・・本満寺本

 

浅・・浅井要麟

 

遺・・高祖遺文録

 

稲・・稲田海素

 

延・・延山録外(全四冊、身延26世・日暹[にっせん]が身延山所蔵真蹟の一部を模写したものか)、又は延山本

 

境・・境妙庵目録

 

刪・・祖書綱要刪略

 

縮・・霊艮閣版日蓮聖人御遺文

 

続・・祖書続集

 

受・・他受用御書

 

表・・日蓮宗年表、稲田海素編

 

鈴・・鈴木一成

 

諦・・祖書目次日諦編

 

内・・録内御書

 

堀・・堀日亨

 

宮・・宮崎英修

 

纂・・類纂高祖遺文録

 

聖・・日蓮正宗聖典

 

宗全・・日蓮宗宗学全書

 

富要・・富士宗学要集

 

明・・新撰祖書・・日明編

 

山・・山川智応

 

啓・・録内啓蒙

 

外・・録外御書

 

意録・・大聖人御筆目録 日意筆

 

遠・・身延山久遠寺蓮祖御真翰入函次第 日遠筆

 

意録・・御書並聖教目録 日筵筆

 

乾録・・身延久遠寺御霊宝記録 日乾筆

 

亨録・・西土蔵宝物録 日亨筆

 

新註・・安国論新註 日英筆

 

聖研・・日蓮聖人の研究 山川智応著

 

十講・・日蓮聖人伝十講 山川智応著

 

対照記・・御遺文対照記 稲田海素著

 

断註・・真蹟断片抄註 鈴木述(清水先生古稀記念論文集載)

 

奠録・・身延久遠寺蓮祖御真翰入函之次第 日奠筆

 

波考・・波木井南部氏事跡考 宮崎英修著

 

興・・日興筆本

 

目・・日目筆本

 

時・・日時筆本

 

主・・日主筆本

 

俊・・日俊筆本

 

舜・・下之坊日舜筆本

 

朝・・日朝筆 富久成寺蔵本

 

尊・・日尊筆 富久成寺蔵本

 

澄・・日澄筆本

 

順・・日順筆本

 

信・・信伝筆 法華本門寺根源蔵本

 

代・・日代筆本

 

存・・日存筆本

 

亀・・元亀本

 

金・・金剛集

 

集成・・日蓮聖人門下歴代大曼荼羅本尊集成

 

 

日常目録・・「常修院本尊聖教事」

永仁7(1299)36日付け、富木日常(常忍)が作成した若宮法華寺の本尊聖教の目録。

記載の大部分は日常より法華寺へと伝来されたもの。

 

 

日祐目録・・「本尊聖教録」

康永3(1344)29日付け、法華経寺3世・日祐が作成した法華寺・本妙寺の本尊聖教の目録。記録中「本妙寺分」については、大部分が太田乗明と2世・日高により本妙寺へ伝来されたもの。日祐目録作成時には「法華寺分」と共に同一の箱に入れられて、本妙寺の宝蔵に納められた。

 

 

※日興本について

従来、大石寺蔵「御筆集」二巻については日興書写本とされてきましたが、小林正博氏の論考「大石寺蔵日興写本の研究」(2008年「東洋哲学研究所紀要」24)では、大石寺蔵「御筆集」二巻と宮城県妙教寺蔵・日目所持本「法華題目抄」の筆跡が一致することを指摘し、「御筆集」二巻は確実な日興の文字と比較すると、別人である可能性をぬぐいきれない、と指摘されています。(趣意)

 

これを受けて、坂井法曄氏は論考「日興写本をめぐる諸問題について」(興風21)にて、筆跡鑑定と詳細なる考察を重ね、以下のように結論しています。

 

「以上、小林氏が対照した以外で特徴的な文字を抽出し対照したが、結果を総括していえば、『おも』の書体は、決定的な相違であり、その他、日興が日蓮在世中から晩年にかけて使用した『經』の字体が、AB本、日目所持本には見られないこと、さらにAB本、日目所持本に見られる特徴的な字体『師』『者』『家』が、日興の筆跡には見えないことなど、『御筆集』AB本と日目所持本『法華()題目抄』が同筆であることは疑いないが、これを日興筆とするには無理があり、年代的な隔たりを考慮しても、別人の筆である可能性は極めて高いといわなければならない。」

 

このような指摘を踏まえ、大石寺蔵「御筆集」による日興書写本については、「日興本」に続けて「要検討」を表記しました。

 

 

 

 

【 曼荼羅の相貌 】

 

本資料では、日蓮図顕曼荼羅を年代順に掲載し、その相貌を記しました。

各曼荼羅の「備考」については立正安国会編「御本尊集」の解説に基づき、若干のコメントを加えました。

 

 

*相貌座配の記載順は以下の通りです

 

首題 自署花押 釈迦仏 多宝仏 分身仏 善徳仏 胎蔵大日 金剛大日 上行菩薩

無辺行菩薩 浄行菩薩 安立行菩薩 文殊菩薩 普賢菩薩 弥勒菩薩 智積菩薩

薬王菩薩 舎利弗 目連 迦葉 迦旃延 須菩提 不動明王 愛染明王 梵天、帝釈天

持国天 増長天 広目天 毘沙門天 四天王 日天 月天 衆星天 明星天 第六天魔王

天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 龍樹 世親 天台大師 章安大師 妙楽大師

伝教大師 阿修羅王 十二神将 八大龍王 龍女 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多

阿闍世王

 

 

*記載例

2

曼荼羅(31)を図顕する

*顕示年月日

建治二年太才丙子二月 日

*授与

釈日与授之

*讃文

仏滅後二千二百二十 余年之間一閻 浮之内未曽図 画大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無十方分身諸仏 南無善徳如来

南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 

南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗等 南無迦葉等 不動明王

愛染明王 大梵天王 持国天王 増長天王 広目天王 毘沙門天王 千眼天王 大日天王 大月天王 四輪王 南無龍樹菩薩 南無天台大師 南無妙楽大師 南無伝教大師 阿修羅王等 龍王等 鬼子母神 十羅刹女

*寸法

96.7×51.8㎝ 3枚継ぎ

*備考

・文永年間の曼荼羅は、自署と花押とが左右に分立。

・建治期になると両者は相接するようになり、ついで結合して一体となる。

(31)以降は自署・花押の分離は認められない。

*所蔵

兵庫県尼崎市開明町 本興寺

 

以上、引用

 

(31)とは「御本尊集」での曼荼羅NOのことです。

 

 

 

【 日蓮真蹟の類別 】

 

山中喜八氏

「房総に現存する日蓮聖人の自筆文書について」

『日蓮 房総における宗派と文化』(1980年 千秋社)

・大曼荼羅

・御書及び御書断片

・断簡

・注法華経

・要文集

・要文断片

・親写本

 

 

中尾堯氏

「日蓮聖人御真蹟に見る料紙の用法」

『棲神』65号 1993

・曼荼羅本尊

・著書

・書状

・写本、要文

・図表

 

 

寺尾英智氏

『日蓮聖人真蹟の形態と伝来』(1997年 雄山閣)

・曼荼羅本尊

・著作

・書状

・弟子、信者の名前で代筆した文書

・講義用の図録

・注法華経

・要文集

・写本

・その他

 

 

 

 

【 参考・日蓮図顕曼荼羅中に認められた「讃文」の出典  】

 

 

・「法華経」譬喩品第三

今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処

多諸患難 唯我一人 能為救護

 

 

・「法華経」法師品

若於一劫中 常懐不善心 作色而罵仏 獲無量重罪

其有読誦持 是法華経者 須臾加悪言 其罪復彼過

有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃

由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼

 

 

・「法華経」法師品第十

我所説経典無量千万億已説今説当説而於其中此法華経

最為難信難解

 

 

・「法華経」法師品第十

而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後

 

 

・「法華経」安楽行品第十四

一切世間多怨難信先所未説而今説之

 

 

・「法華経」如来寿量品第十六

余失心者見其父来雖亦歓喜問訊求索治病然与其薬

而不肯服

 

 

・「法華経」如来寿量品第十六

是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差

 

 

・「法華経」薬王菩薩本事品第二十三

此経則為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅

不老不死

 

 

・「大般涅槃経」現病品(北本) 一切大衆所問品(南本)

世有三人其病難治一謗大乗二五逆罪三一闡提

如是三病世中極重

 

 

・「大般涅槃経」梵行品(北本、南本)

譬如一人而有七子是七子中一子遇病父母之心非不平等

然於病者心則偏重

 

 

・「法華玄義釈籤」巻三

已今当妙於茲固迷舌爛不止猶為華報謗法之罪苦流長劫

 

 

・「法華文句記」

中国・唐代の天台宗第6祖の湛然(荊渓湛然[けいけいたんねん]とも)・妙楽大師が「法華文句」(智顗の講説、弟子の灌頂[章安大師・天台宗第4]が記す)を註釈したもの。

若悩乱者頭破七分 有供養者福過十号

 

 

・「止観輔行伝弘決」巻五

湛然著

当知身土一念三千故成道時称此本理一身一念遍於法界

 

 

・「依憑天台集」

最澄=伝教大師著

讃者積福於安明 謗者開罪於無間

 

 

 

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