1265年・文永2年 乙丑(きのとうし) 44歳

亀山天皇

 

北条政村

 

211

筑前国筥崎八幡宮 焼亡

 

 

35

幕府 鎌倉の町屋地を七所と定め散居を禁ず(吾妻鏡)

 

 

38

南条時光父・南条兵衛七郎法号行増 寂と伝う(日蓮宗年表・富士年表・大石寺過去帳)

 

 

3

澄覚 天台座主に補任される(天台座主記・一代要記・続史愚抄)

 

 

413

朝廷 延暦寺衆徒の武装や博打などを禁ず

 

 

6

鎌倉 大雨(一般年表)

 

 

711

書を上野尼に報ず

「上野殿後家尼御返事(うえのどののごけあまごへんじ)

(1-39P328、創新297P1832、校1-44P371、全P1504、新P336)

南条時光母尼

創価学会新版・上野尼(うえののあま)

日朝本 満上371 宝13 真蹟なし

録外2-32 受6-24 遺16-23 縮1049

*全集「上野殿後家尼御返事(地獄即寂光御書)

< 系年 >

昭和定本「文永2711()或は文永11()

創価学会新版・平成校定「文永2711日」

全集「文永11711日」

 

 

*日蓮は、亡き夫・南条兵衛七郎の勧めにより法華経を受持した夫人を「法華経の行者」と呼ぶ。

今度のちぎりこそまことのちぎりのをとこよ。そのゆへは、をとこのすゝめによりて法華経の行者とならせ給へば仏とをがませ給ふべし。いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり。

法華経第四に云はく「若し能く持つこと有らば即ち仏身を持つなり」云云。

 

 

*亡き兵衛七郎を「此の経の行者」と。

故聖霊(しょうりょう)は此の経の行者なれば即身成仏疑ひなし。さのみなげき給ふべからず。又なげき給ふべきが凡夫のことわりなり。ただし聖人の上にもこれあるなり。釈迦仏御入滅のとき、諸大弟子等のさとりのなげき、凡夫のふ()るま()ひを示し給ふか。いかにもいかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給ふべし。

 

 

秘蔵の法門

古徳のことばにも、心地を九識にもち、修行をば六識にせよとをし()へ給ふ。ことわりにもや候らん。此の文には日蓮が秘蔵の法門か()きて候ぞ。秘しさせ給へ、秘しさせ給へ。

 

 

この年

 

日蓮 南条兵衛七郎の墓参のため駿河国上野に向かう(もしくは翌文永3年か)

日興もその時に弟子となるか

 

上野殿御返事(故上野殿追善の事)」文永11726日 真蹟

こうへのどの(故上野殿)だにもを()はせしかば、つね()に申しうけ給はりなんとなげ()きをもひ候つるに、をんかたみ(御遺愛)に御みをわか()くしてとゞめをかれけるか。すがた(姿)のたが()わせ給はぬに、御心さえに()られける事いうばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候とうけ給はりて、御はか()にまいりて候ひしなり。

⇒「春の祝御書」(文永121月 真蹟)にも墓参の記述あり

 

 

南条七郎五郎 生る

「定・上野殿母尼御前御返事、創新・上野殿母御前御返事(四十九日菩提の事)弘安3(1280)1024日 真蹟

故上野殿には盛んなりし時をく()れてなげき浅からざりしに、此の子をはら()みていまださん()なかりしかば、火にも入り水にも入らんと思ひしに、此の子すでに平安なりしかば、誰にあつらへて身をもな()ぐべきと思ひて、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ。

 

 

玉野大夫阿闍梨日尊 陸前玉野に誕生と伝う

*「家中抄」(富要5226)

日尊伝

釈の日尊、父は奥州玉野(玉野は地名なり此地を領する故に玉野と号するなり)、誕生は文永二乙丑年、幼少にして天台宗と為る

 

 

日向 改衣と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表)

 

 

上総興津 佐久間重貞弟・竹寿麻呂[寂日房日家]、同長男・長寿麻呂[美作房日保] 得度と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表)

 

 

宋僧・兀庵普寧(ごったんふねい) 宋に帰国

 

【 系年、文永2年と推定される書 】

 

 

書を著す

「女人成仏抄(にょにんじょうぶつしょう)

(1-40P332、創新31P519、校1-46P382、全P470、新P344)

昭和定本・創価学会新版・対告衆なし

日朝本 真蹟なし

録外25-9 受4-17 遺9-13 縮529

*昭和定本・創価学会新版「文永2年」

 

 

書を著す

「薬王品得意抄(やくおうほんとくいしょう)

(14-41P337P3007、創新32P524、校1-47P387、全P1499、新347)

昭和定本・創価学会新版・対告衆なし

真蹟第1紙、第5~第10紙の計7紙・千葉県安房郡鋸南町吉浜 保田妙本寺蔵

234紙欠、第13紙以下欠

1110行・某氏蔵(平成校定は「東京都 某家」)

12紙初7行・長崎県大村市古町 本経寺蔵

12紙後半8行・埼玉県戸田市新曽 妙顕寺蔵

録内33-8 遺9-17 縮534

*平成校定「日時本 大石寺蔵」

*昭和定本・創価学会新版「文永2年」

 

 

書を著す

「女人往生抄」

(1-42P343、校1-45P375、新P339)

昭和定本・対告衆なし

日朝本 平13 大野本・山梨県南巨摩郡身延町大野 本遠寺蔵 真蹟なし

録内19-9(祈祷抄奥合置) 遺2-20 縮47

< 系年 >

昭和定本「文永25月或は建長5(縮、鈴)

 

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