3 「日本霊異記」

 

奈良時代から平安初期にかけて、仏教僧が、その名を現在まで伝えられるほどの旺盛な活動を展開し、修行・伝道と共に諸国の霊場を開創している。

 

 

 

・飛鳥時代から奈良時代にかけて、大和の葛城山一帯で活動した呪術者で、平安期の山林修行・山岳信仰の隆盛により修験道の開祖に仮託された役小角(役行者・生没年不詳)

 

・民衆教化と社会事業を展開し、東大寺大仏造営の勧進も成し遂げ、日本初の大僧正となった行基(668749)

 

・白山を開山し、各地に仏教を伝播させた越前の泰澄(682767)

 

・多度神宮寺を創建し、鹿島神宮寺の創建も伝えられ、箱根三所権現を感得したという満願(生没年不詳)

 

・伝説の多い肥後八代郡の比丘尼・舎利菩薩(生没年不詳)

 

・上野・下野・武蔵で民衆を教化した道忠(生没年不詳)と一門。

 

・山林修行を行い、日光山を開山した勝道(735817)

 

・常陸から会津にかけて、その活動と寺院の開創が伝えられる徳一(?~824)

 

 

 

彼らと同時代を生き、在地で仏教運動を行った一人として永興(生没年不詳)の名が挙げらる。永興の俗姓は葦屋君の氏、また市往の氏ともいい、摂津国手嶋郡の百済系氏族の家に生まれ興福寺の僧となった。天平宝宇2(758)、三綱首班の上座職となったが紀伊国牟婁郡熊野村に移住し、山岳修行を行った。法華経読誦を重ね、呪験を獲得した永興は熊野の海辺で病者を看病し、人々を教化した。土地の人々は永興の行いをほめたたえて永興菩薩、または熊野が平城京南部に位置することから南菩薩と呼び、称賛したという。()

 

宝亀元年(770)、永興は第4代の東大寺別当に補任され、宝亀3(772)33日の詔により、天皇の身体を護持する十禅師の一人に選ばれている。()熊野における永興の活動については、「日本霊異記」に法華経の霊験譚として紹介されている。()

 

 

 

「法花経を憶持せし者の舌、曝りたる髑髏の中に著きて朽ちずありし縁 第一」

 

(意訳)

 

ある日、永興のところに一人の禅師が訪れた。持ち物は、法華経一部と白銅の水瓶一つ、縄床一足(縄を編み張った椅子)だけだった。禅師は永興のもとで法華経の読誦に専念し、一年あまり経つと「これより山に入ろうと思う。伊勢の国に向かいます」と言い、永興に敬礼し縄の椅子を残して出発した。永興はもち米の干飯をついて粉にしたもの二斗分を禅師に施し、途中までの案内として優婆塞二人をつけて同行させた。

 

一日歩いたところで、禅師は法華経とあわせて鉢、干飯の粉等を優婆塞に与えて帰らせた。自らは、ただ麻の縄二十尋と水瓶一つを手にしているだけだった。

 

それから二年ばかりたった時、熊野村の人が熊野川の上流の山に入り、木を伐って船を作っていた。何かが聞こえるので耳を澄ますと、それは法華経を誦する声であった。日月を重ねても、その声はやむことはない。村人は法華経読誦の声に発心し、声の主を尊ぶべく自分の食料を捧げようと探し求めたが、ついに見つけることはできなかった。山中の小屋に帰っても、経を読む声は聞こえ続けた。それから半年をへて、村人は船を引き出すために再び山に入った。この時も、誰もいない山中に法華経が聞こえ、不審に思った村人は永興に伝えた。

 

永興も山中に入ったところ、まことに法華経を読む声が聞こえる。方々をたずね見たところ、一体の死骸があった。死体は、麻の縄を二つの足につないで崖にかかっており、崖より身を投げて死んだようだ(筆者・捨身行か)。死体の傍には水瓶があり、それを見た永興は、ことの次第を知るところとなった。

 

崖より身を吊るしていた者は、数年前に別れた禅師であったのだ。永興は悲しみにむせび、泣きながら熊野の村に戻っていった。それから三年を経過したある時、木こりが永興のところに来て、「法華経を読む声は常のごとく、やむことがありません」と告げた。再び山に向かった永興が禅師の骨を取ろうとして髑髏を間近に見ると、三年も経っているのに禅師の舌は腐らず、生きている人のようなものであった。まことに知るべきである。これは法華経の不思議なる力であって、経を読み、功を積んだ験徳であるということを。

 

 

 

同じく「日本霊異記」の「如法に写し奉りし法華経の火に焼けざりし縁 第十」にも、法華経の霊験譚が記されている。紀伊国安諦郡荒田村(和歌山県有田郡有田川町)に住む私度僧・牟婁沙弥(俗姓・榎本氏)は、六ヵ月にわたり清浄の身で法華経の書写をなした。しかし、自宅が火事になり全てを焼失してしまう。ところが、経箱だけは焦げもせず焼け残っていて、中の経典も無事であった。これは、牟婁沙弥が深く信心の功徳を積み法華経を写したことによるもので、護法神の守りが火災に際して霊験を現わしたものなのである。不信者の心を改めるのに善き話であり、邪見の人の悪を止めるのにすぐれた師匠なのである、という。

 

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