日蓮遺文から読み解く三宝について

 

知人から「日蓮の考えていた三宝は何か?」と問われたのだが、日蓮の教説に「これが私の尊信する三宝である、一門の皆も理解せよ」というものがあっただろうか?

日蓮が「三宝を明示して尊信すべきことを繰り返し強調していた」のだろうか?

 

日蓮遺文より確認したいが、先に結論を記せば「三宝を明示しなくとも、その意を常の教示の中に含ませながら教導していた日蓮」ということが読み解け、理解できるのではないかと思う。

 

 

    「新田殿御書」

弘安3529日、日蓮は「新田殿御書」(真蹟)で次のように教導する。

使ひの御志限り無き者か。経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せんか。

(P1752)

 

これにより、

仏宝=「仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり」

法宝=「経は法華経、顕密第一の大法なり」

僧宝=「行者は法華経の行者に相似たり」

ということが読み解けるのではないだろうか。

 

釈迦仏といっても、日蓮の常の教示からすればそれは北インド出現のシャカという歴史上の人物のことではなく「妙法蓮華経如来寿量品第十六」に示された久遠実成の釈尊=久遠仏ということになるでしょう。

仏宝とは久遠仏ということになる。

 

法華経とあれば、その肝心が南無妙法蓮華経であることは「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経」(建治2年 報恩抄 真蹟)等の、これまた日蓮が繰り返し重ねた教示にあるとおりだ。法宝は法華経、そして南無妙法蓮華経でしょう。

 

僧宝については、「行者は法華経の行者に相似たり」と謙遜しながらも、日蓮が法華経の行者を自称したことは多くの遺文に見えるところであり、自らが「僧宝たる役割を果す者」としての意識があったのではないだろうか。また、日蓮の遺文には「我が弟子等」(閻浮提中御書)をはじめ、「日蓮が弟子等」「我が弟子等」「日蓮が一類」「各各我が弟子」などの記述が多くあることから、改めて表明するまでもなく「日蓮一門も僧宝である」との意識があったのではないかと思う。

 

日蓮在世の仏法僧は、「久遠仏、法華経とその肝心たる南無妙法蓮華経、日蓮と一門」ということになるのでしょう。

 

 

    「盂蘭盆御書」

同様の記述は他の遺文にも見えるところで、弘安3713(或は建治3)の「盂蘭盆御書」(真蹟)では、以下のように教示している。

 

されば此等をもって思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるい()し、威儀は猿猴(えんこう)にに()て候へども、あを()ぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば蛇の珠(たま)をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。(P1775)

 

「あを()ぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり」より、

仏宝=久遠仏

法宝=法華経(肝心たる南無妙法蓮華経)

ということが読み解けるでしょう。

 

貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり」からは、「正しき仏宝・法宝を尊信することにより治部殿も僧宝である」との、言外の意が含まれているように思う。

 

 

    「上野殿後家尼御前御書」

続いて弘安396日の「上野殿後家尼御前御書」(真蹟)では、

追申。此の六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひしに、又見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。(P1793)

と「久遠仏と法華経に自らを注ぎ込むように一途な信仰に励まれたのだから臨終は目出度いものである、即ち成仏されている」としているところから、ここに尊信の対象たる仏宝・久遠仏、法宝・法華経(肝心たる南無妙法蓮華経)が読み解けるのではないだろうか。

久遠仏と法華経(肝心たる南無妙法蓮華経)への信仰により、成仏はかなうと日蓮は教示していることになる。

 


④ 「四条金吾殿御返事(八日講御書)
日蓮臨終の年、弘安517日「四条金吾殿御返事(八日講御書)(真蹟断片)では、

然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給ひて候に、いかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて、各々あつ()まらせ給ひて八日をくやう(供養)申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かう()ををく()らせ候やらん、たうとし、たうとし。(P1906)

と教示しており、「法華経と釈迦仏とを御信心ありて」との記述に「何を信仰の対象とすべきなのか?」の明答が示されているのではないだろうか。即ち仏宝・久遠仏、法宝・法華経(肝心たる南無妙法蓮華経)であり、これにより日蓮は臨終の時まで、仏宝・久遠仏、法宝・法華経(肝心たる南無妙法蓮華経)と尊信していたことがうかがえると思う。

 

 

    まとめ

以上、日蓮の思考には

仏宝・久遠仏

法宝・法華経と法華経の肝心たる南無妙法蓮華経

僧宝・日蓮と一門

というものがあったように思う。

 

日蓮入滅後には、その教えを継承、正統にして正当であることを自負する教団(和合僧)が、日蓮を久遠実成の釈尊=久遠仏の慈悲と教えを継承している、末法に久遠仏の教えと慈悲を通わしているとして、日蓮をその振舞を以て仏宝と尊信するのは信仰としては当然にして自然なことであると思う。

 

私としても個人的には、北インド誕生の人物に関連付けられる仏宝よりは、同胞たる日本人を仏宝として尊信するのは誇りたいことだと思っている。もちろん仏宝・日蓮は教団内の教義としての設定であり、信奉者に十分に納得理解させなければならないのは教団の仕事といえる。

 

ただし、現代の日蓮系の各宗・各派ごとに尊信の三宝は異なっており、日蓮を仏宝として尊信する教団がいかにしてそれを教団外に理解せしめていくかは、教団の努力と工夫、布教の手腕が問われるところだろう。

 

 

追記 日蓮遺文に見る法宝・僧宝について

 

    法華経題目抄」

日蓮は文永316日に著した法華経題目抄」の冒頭で、南無妙法蓮華経がいかに法として力のあるものか、即ち「法力」を端的に示している。

 

問うて云わく、法華経の意をもしらず、ただ南無妙法蓮華経とばかり、五字七字に限って一日に一遍、一月乃至一年・十年・一期生の間にただ一遍なんど唱えても、軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかず、ついに不退の位にいたるべしや。

答えて云わく、しかるべきなり。(P391)

 

法華経の意味も分からずに一生の間に一遍だけでも南無妙法蓮華経を唱えれば、悪業の軽重に関係なく、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四悪趣にも堕ちることなく、ついに不退転の位に至り成仏が叶うのである、と教示する。

 

南無妙法蓮華経が衆生をして成仏せしめる、その法の力というものを、まさに宗教的達観、確信と悟達の境地から明瞭に示しており、このような一切衆生成仏という法力のある南無妙法蓮華経こそ、日蓮の時代から未来へと変わることのない「法宝」であるというべきだろう。

 

 

    「法華取要抄」

身延入山後の文永11524日に著した「法華取要抄」では、法華経と南無妙法蓮華経の大事を説く。

 

諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり。(P815)

 

最大の重病が法華経誹謗ということは法華経こそ最第一の経典であるということであり、良薬の中での第一は南無妙法蓮華経であると明示している。

ここでも日蓮にとっての法の宝は、法華経と南無妙法蓮華経である、ということが読み解けると思う。

 

 

    「撰時抄」

建治元年の「撰時抄」では、法宝と僧宝がうかがわれる記述をしている。

 

日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。これをそしり、これをあだむ人を結構せん人は、閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。
これらをみよ。仏滅度の後、仏法を行ずる者にあだをなすといえども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし。この徳は、たれか一天に眼を合わせ、四海に肩をならぶべきや。(P1019)

 

「日蓮は閻浮第一の法華経の行者」であれば、それは「僧の宝」というに等しく、一切衆生に勧めるべき法は南無妙法蓮華経であると明示されているのだから、南無妙法蓮華経こそ「法の宝」というべきだろう。

 

同じく「撰時抄」では、次のような記述をしている。

 

この念仏と申すは、双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は、これをすいしぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば、実経の題目また流布すべし。欽明より当帝にいたるまで七百余年、いまだきかず、いまだ見ず、南無妙法蓮華経と唱えよと他人をすすめ、我と唱えたる智人なし。日出でぬれば星かくる。賢王来れば愚王ほろぶ。実経流布せば権経のとどまり、智人南無妙法蓮華経と唱えば愚人のこれに随わんこと、影と身と、声と響きとのごとくならん。
日蓮は日本第一の法華経の行者なること、あえて疑いなし。これをもってすいせよ。漢土・月支にも一閻浮提の内にも、肩をならぶる者は有るべからず。(P1047P1048)

 

仏教公伝(552年か)の時の天皇であった第29代・欽明天皇の代より建治元年当時の第91代・後宇多天皇の代に至るまで、流布されることのなかった南無妙法蓮華経を勧め弘めている日蓮こそ、「日本第一の法華経の行者」であり、「一閻浮提の内にも肩をならぶる者は」いない。

 

ということは、一閻浮提の内に並ぶ者がいない日本第一の法華経の行者たる日蓮こそ「僧の宝」にして、仏教公伝以来初めて弘められている南無妙法蓮華経こそ「法の宝」であるといえるだろう。

 

 

    「報恩抄」

建治2721日の「報恩抄」では、南無妙法蓮華経という信仰の清流が万年まで通うことを記している。

 

日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は、伝教・天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。これひとえに、日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。春は花さき、秋は菓なる。夏はあたたかに、冬はつめたし。時のしからしむるにあらずや。(P1248)

 

数々の大難を乗り越え、久遠仏直参信仰の導師から久遠仏の体現者へと昇華した日蓮の慈悲は広大なものである故に、法華経の題目・南無妙法蓮華経は万年、未来へと流れ通うのであり、南無妙法蓮華経という法体こそが一切衆生の仏教上の盲目を開き、功徳で潤わせ無間地獄への道を必ずや塞ぐものである。

 

このような力強い教示には、根底に「南無妙法蓮華経即ち法の宝なり」という日蓮の確信があればこそ、と読み解けるのではないだろうか。

 

 

2023.12.24